(原題:Man of Steel)
2013年/アメリカ
上映時間:143分
監督:ザック・スナイダー
キャスト:ヘンリー・カヴィル/エイミー・アダムス/マイケル・シャノン/ケビン・コスナー/ダイアン・レイン/ローレンス・フィッシュバーン/アンチュ・トラウェ/ラッセル・クロウ/他
来週あたりに「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」を観に行こうかなと思い、復習も兼ねてのご紹介。
「ダークナイト」で新たなバットマンを描いたクリストファー・ノーラン。
「ウォッチメン」で、社会的なヒーローの意義を説いたザック・スナイダー。
この2人がタッグを組み、DCコミックスのクロスオーバー作品の序章として製作されました。
「X-men」「バットマン」「スパイダーマン」「アイアンマン」などなど。
「力」を持ってしまった故に思い悩むヒーロー象を描く作品がトレンドとなり量産された中で、唯一(ほぼ)完璧な超人として描かれていたスーパーマンの存在はやはり特別なもの。
しかし時代の流れにより、完璧超人の勧善懲悪に飽きた風潮もあり、徐々に存在価値が薄まっていきました。
そんな中で本作は既存のヒーロー映画とは次元の違うアクションと、3D及びIMAXを意識した演出は成功しスーパーマンの復活を印象づけるものとなりました。
さっくりあらすじ
地球から遠く離れた惑星クリプトンは長きに渡る採掘が原因となり、惑星の内部崩壊が迫っていた。
科学者のジョー=エルは採掘の中止や他の惑星への移住を訴えてきたが、元老院は耳を貸さず、その元老院の態度に業を煮やしたゾッド将軍のクーデターを引き起こしてしまう。
軍部が元老院を掌握する間にジョーは逃亡、数百年ぶりに自然出産で生まれた息子に謎の物体・コデックスを託し、地球へと送ることを決意する。
直後に追いついたゾッド将軍との戦闘の末にジョーは死亡するが、息子カル=エルの転送は成功、最終的にゾッド将軍のクーデターも失敗に終わる。
元老院は軍部をファントム・ゾーンへの追放の罰を与えるものの、すぐに惑星クリプトンは崩壊しクリプトン星人は死に絶えることになった。
地球に流れ着いたカル=エルはケント夫妻によりクラーク・ケントとして育てられていたが、自身の持つ超人的な力が孤独を生み、苦悩する日々を送っていた。
ある日、カナダでクリプトン星の宇宙船が発見される。
自分が何故に地球にいるのかを確かめるため、宇宙船の発見現場へと向かうクラークだが、、、
”最強”であるアメリカ軍を上回る力
スーパーマンの存在は世界のパワーバランスに
変化をもたらす
”戦士”として生まれたゾッド将軍
クリプトンに利益をもたらすことが
彼の存在価値になる
自主性と受動性
原作ではケント夫妻に拾われ、明らかに異常なパワーを秘める赤ちゃんながらケント夫妻は心から愛します。
大事に育てられたクラークは自分の使命を探すため都会で新聞記者となり、それと平行してスーパーマンとして、強靭なパワーと高い知性で人を助けて行く物語です。
かっちり7:3に分けた冴えないメガネ君と、青いコスチュームに赤マントをはためかせるスーパーマンの二面性が作品の軸と言ってもよいでしょう。
対して本作。
先述したような高い知性はあまり感じません。
賢さは感じさせず、日雇いの仕事で日々を食いつなぎ、どういう理由かはハッキリしませんが自分の存在意義に悩んでいるような描写が多いです。
良く言えば人間臭く、悪く言えば超人のわりに優柔不断。
ケント夫妻も有り余るスーパーパワーの使い道を導いているわけでもなく、むしろパワーを使わずに生きて行くように示しているフシさえあります。
原作のような二面性の描写は無く、宇宙か侵略者がやって来たせいで戦わざるを得なくなってしまったような印象。
つまり原作が自主的にスーパーヒーローを選んだのに対し、本作ではなし崩し的なノリでスーパーヒーローになってしまったような感じ。
ついでにロイスがクラークの正体を知っているという点。
あまり原作と比べるのもナンセンスな話ですが、それを踏まえても総合的に考えて全くの別物と言えると思います。
そして演出面ですが、アニオタ映像職人ことザック・スナイダーが製作しただけあって、アクションシーンは非常に見応えがあります。
生物としてのポテンシャルが桁違いのクリプトン星人、それが強固なスーツに身を包み人間たちに襲い掛かってくるわけですが、まぁ強いのなんの。
人間の扱う銃器は彼らからすればエアガン未満、グレネードにしても爆竹程度のリアクションしかありません。
特筆すべきはそのスピード、文字通り目にも留まらぬ圧倒的なスピードで人間を蹴散らしていくサマは全く歯が立たない恐ろしい脅威を印象づけます。
しかし、多くの日本人からすれば悟空vsベジータのような既視感を感じるのは間違いないでしょう。
とはいえ、このスーパーマンとゾッド将軍率いるクリプトン軍の戦闘シーンは凄まじいの一言です。
道路もビルも、壊れるものは全部壊していくようなノリで戦う彼ら。
戦闘の余波だけでも異常な破壊力を誇り、むしろ若干壊しすぎて筆者は少し引いてしまいましたが。。
お互いにあまりにも強すぎる故に周りにいた人間達はとばっちりどころの騒ぎではなく、地震と竜巻に同時に巻き込まれたような、天変地異クラスの被害に遭います。
お願いだから喧嘩は外(宇宙)でやってくれ!とお願いしたくなるようなアクションエフェクトは、これだけで一見の価値があると思います。
まとめ
あくまで終わってみればの話ですが、悪の権化であったゾッド将軍は”戦士”として戦うために生まれてきました。
これはそう育てられたとかのレベルではなく、生まれながらにして戦士だったという意味です(やっぱサイヤ人だよね)
自然出産で自由と可能性を持ちながら生まれたスーパーマンとは違い、生まれた時から自分の存在意義が決まっていたゾッド将軍。
悪人面ではありますが彼の願いはあくまでクリプトンの再興であり、彼の視点では同胞を裏切るスーパーマンは間違いなく”悪”でしょう。
化石燃料を掘り起こし過ぎて滅びた惑星クリプトンは将来の地球の危機を表し、同じ民族で争う姿は現在の我々の姿と言えます。
そんな擬似体験を感じさせつつも、善と悪の紙一重な価値観は観る人の心に何かを残す気がします。
暗い雰囲気に終始し、明るくコミカルなシーンは皆無だったため既存のファンからは厳しい評価を受けたそうですが、今という時代に合わせて作った新しいものだと思えばなかなか良い出来かなと思います。
ぜひ一度ご鑑賞くださいませ。