(原題:Seven)
1995年/アメリカ
上映時間:127分
監督:デヴィッド・フィンチャー
キャスト:ブラッド・ピット/モーガン・フリーマン/グウィネス・パルトロー/ロナルド・アーメイ/リチャード・ラウンドツリー/ケヴィン・スペイシー/他
説明するまでもなく、後味悪い系映画の筆頭として有名なサスペンス映画ですね。
「ゴーンガール」や「ファイト・クラブ」で有名なデヴィッド・フィンチャー監督ですが、「エイリアン3」で酷評を受けた当時は映画の撮影に嫌気がさしていたらしく、久しぶりにメガホンを取った作品でもあります。
モチーフはキリスト教における「七つの大罪」
つまり
「暴食」
「色欲」
「強欲」
「憤怒」
「怠惰」
「傲慢」
「嫉妬」
になぞらえた連続殺人が描かれます。
個人的には「暴食」と「強欲」と「憤怒」「嫉妬」に引っかかってますね。
どうやら地獄行きのようです、はい。
さっくりあらすじ
退職まであと一週間となったベテラン刑事のサマセットと、血気盛んな新人刑事・ミルズは殺人事件の現場へと向かい、そこであり得ないほどの肥満男性が食べ物に顔を埋めて死んでいる姿を目にする。
食物の大量摂取と殴打による内臓破裂が死因と断定され、後頭部の銃口の痕から死ぬまで食べさせられていたことが判明。
そして、犯人が残したと思われる「GLUTTONY(大食)」と書かれた文字が発見された。
後日、オフィスビルの一室で腹部を裂かれ血まみれになった男の死体が発見される。
現場には「GREED(強欲)」の文字が残され、被害者の弁護士は体の贅肉を切り落とされ絶命。
状況から犯人は2日に渡りどこの肉を切り落とすか選ばせていたと推定された。
一連の事件から、サマセットは犯人が「七つの大罪」をモチーフに殺人を重ねていると仮定し、部屋に残された指紋から浮上した容疑者の元へと向かうのだが、、、
最初の被害者
「大食」
新人刑事・ミルズ
どこか未熟さを感じさせる
退職間近の敏腕刑事・サマセット
事件の法則に気が付くが、、
絶望の底
まぁー後味の悪いのなんのって、よくこれだけ気分の悪くなる映画を作れるもんです。
しかしそこはフィンチャー監督ならではというか、何気ない映像の一つひとつにちゃんと意味があり、深いメッセージ性が隠れています。
だからこそ鬱な映画なのにも関わらず、何故かもう一度観たくなる魅力があるわけですな。
”罪”という終わりの無い出来事の中で、罰を受けるのはどんな人たちを指すのでしょうか?
現実的に言えば僕らはみんな法の下で生きているわけで、司法が定めたルールに則って生活しています。
しかし本作における犯人のジョン・ドゥは七つの大罪、つまり神が定めた法に従って罰を与えています。
絶対的な存在である”神”のルールにおいて、多少の差はあれ僕らはみな罪深き毎日を送っているとも言えるわけですな。
救いようの無い怒りや悲しみ、それに伴う感情的な行動は罪の螺旋を作っていき、その螺旋がまた新たな罪を呼ぶ。
そんな、人間なら誰でも触れる可能性のある”罪”をこれでもかと鬱展開にして作品に仕上げたのがこの映画です。
映像にこだわるフィンチャー監督ならではというか、本作ではブリーチ・バイパス(銀残し)を多用し、全体的に青みがかった映像が特徴的です。
それに加え、やたら雨が降る映像を多用することで都会ならではの雑踏やストレスを視覚的に感じることができます。
このあたりの映像表現はさすがというか、映画職人としてのこだわりが強く感じられます。
正義感が強く、直情的な新米刑事・ミルズ。
知的で冷静、しかし時には違法な捜査も辞さない老獪な刑事・サマセット。
いわゆるバディ・ムービーに当たるわけですが、王道的な内容に対してとんでもない結末を用意したのは本当に衝撃的でした。
罪を体現した”悪”の完全勝利は深い喪失感を誘い、納得いかない気持ちは善悪を超越しますね。
それを訴える感情的な演技はビシビシと伝わってきます。
まだ若さが残るブラッド・ピットと、そんな若さを経験でカバーするモーガン・フリーマンは共に素晴らしい演技で魅せてくれます。
まとめ
もはや語るまでもなく有名な作品ですが、未だ観たことのない方は本当に鬱な映画なので注意が必要です。
生半可な気持ちで観ると後悔しますよ。
深いメッセージ性が隠れている秀作ですが、それに気が付くまでのハードルが高い作品とも言えます。
というか、初見では胸糞悪くなってウンザリすること請け合いです。
それを乗り越えた先に、作り手が何を伝えたいのか、何を感じ取るべきなのか、僕らが抱えている罪に対する教訓が得られることでしょう。
ぜひ一度ご鑑賞くださいませ。